2023-01-01から1年間の記事一覧
「エリナー・リグビー」の真実【その7】 の続き 「ポール・マッカートニー死亡説」は1969年9月にアメリカの大学生が大学新聞に掲載したことからはじまり、野火のように世界中に広がっていく。そして、50年以上経った今でもその火はくすぶっている。 …
「エリナー・リグビー」の真実【その6】の続き メイ・パンについては、また取り上げるとして、話を「エリナー・リグビー」に戻そう。 映画とツアーで稼ぐアイドルバンドとして世界一の売れっ子となったビートルズ。彼らの創り出す音楽は、前作の「Rubber So…
「エレナー・リグビー」の真実【その5】からの続き ロサンジェルスはジョン・レノンがオノ・ヨーコと別居していた「失われた週末」を過ごした場所にもあたる。そして、マル・エヴァンスとも頻繁に会っていたことが、当時のジョンの恋人だったメイ・パンの写…
「エリナー・リグビー」の真実【その4】からの続き 「そのかわりに、あの時、『オイ、君たち、詞を書き上げちゃってくれよ』とぼくらに声をかけたんだ。EMIのどでかいスタジオの向こうで、録音をしたり、アレンジや、何か他の事をしながらね。その時、ぼく…
「エリナー・リグビー」の真実【その3】からの続き ジョン レノンが暗殺される4ヶ月前の1980年8月にプレイボーイ誌が3週間の長期にわたってジョン レノンとオノ ヨーコをインタビュー取材している。(記事は翌年掲載) この時までの5年間、ふたりは…
「エリナー・リグビー」の真実【その2】からの続き 本国イギリスでは、「エリナー・リグビー」はアルバム『リボルバー』と同時に「イエローサブマリン」と両A面シングルで発売された。一方で、アメリカでは「エリナー・リグビー」はB面にしかなっていない。…
「エリナー・リグビー」の真実【その1】からの続き 一般的な解釈では、エリナーは若くない独身女性となっている。ただ、それを裏付ける表現は一切ない。 名前以外は、行為についての描写しかなく、「彼女 "She"」は若い女性と解釈することも可能だ。 "She" …
「エリナー・リグビー」(1966年8月リリース)は、教会を舞台とする孤独な女性と神父についての曲だ。 歌詞の内容はひたすら描写的。感情表現はほとんどない。ビートルズが誰も楽器を演奏していないことに加え、その点でも収録された『リボルバー』の中で突…
キリスト発言と騒動の真相【その2】からの続き キリスト発言の炎上は、インタビュー記事が3月4日に出てから4ヶ月後の7月に一部分をイギリスの夕刊紙が引用し、それをアメリカの雑誌が掲載してから始まる。 やがて、アメリカをはじめ世界中のキリスト教を国…
キリスト発言と騒動の真相【その1】からの続き 1966年3月にジョン・レノンの自宅でこのインタビューは行われた。女性ジャーナリストのモーリーン・クリーブは、すでに3年前の1963年にビートルズに関する記事を書いている。 ジョン・レノンと彼女の友人関係…
宝石ジャラジャラ発言【その3】からの続き キリスト発言(More popular than Jesus)は、ビートルズと友人関係にあった女性ジャーナリストのモーリーン・クリーブのジョン・レノンへの単独インタビュー記事が元となり炎上した。 ちなみに二人は男女の関係で…
宝石ジャラジャラ発言【その2】 からの続き この出演以降、ビートルズは単なるポップアイドル以上の存在として取り上げられていく。 年末には大手のタイムズ紙でジョン・レノンとポール・マッカートニーは「1963年に最も活躍した『作曲家』」と評される。別…
宝石ジャラジャラ発言【その1】からの続き この時の会場は1884年に設立された由緒ある王室プリンス・オブ・ウェールズ劇場。 ビートルズは19組の出演者の中の7番目で登場する。 ややナーバスな感じながらもクオリティ抜群の演奏でジョン・レノンのリード…
1963年11月4日にビートルズは初めて英国王室の前でコンサートを行った。ビートルズのデビューは1962年の10月なので、まだ1年過ぎてすぐの頃だ。 デビュー曲「ラブ・ミー・ドゥ」こそ、今ひとつの売れ行きだったものの、翌年1月に発売された2枚目のシングル…
陰謀論というのは、世の中を裏側から支配する人達がいて、その人達のシナリオ(アジェンダ)に沿って、歴史は動かされてきたというものであろう。 そして、叛逆者たちというのは、(だいたいにおいて)そんな連中に対して「ふざけるな!」と果敢かつ向こうみ…