「ポール・マッカートニー死亡説」は1969年9月にアメリカの大学生が大学新聞に掲載したことからはじまり、野火のように世界中に広がっていく。そして、50年以上経った今でもその火はくすぶっている。
これはとても不思議な現象で、ビートルズがいくら20世紀のポピュラー音楽を代表するバンドだとしても、今も生きているミュージシャンで、カリスマ性もそれほどない(なくなっていった)ポール・マッカートニーの死亡説が、かくも長く繰り返し語り継がれていることは不思議だ。
それにしても「キリスト発言」の時といい、アメリカという国はローカル(地方都市)からゴシップや都市伝説が拡散していく。政治的にも文化的にも草の根(Grass Root)が強い国で、イギリスや日本とはぜんぜん違う。しょせん、階級社会のイギリス、その時々にお上を仰ぐ追従・付和雷同型社会の日本のようにはいかない。アメリカ社会は大衆パワーを導いてなんぼなのだ。
いずれにしろ、「ポール死亡説」の賞味期限の長さはすごい。若くして、不可思議な死に方をしたことで、そのカリスマ性が永続化している他のミュージシャンの謀殺説や生存説なんかと比較しても、なぜこれほどまでにと思う。
そして、この「ポール死亡説」で繰り返し出てくるのが、「アビーロード」に代表されるアルバムのジャケットや楽曲に隠されたサインや暗号で、その賞味期限の長さにはただただ驚かされる。生き証人がいて、その本人が何度も何度も否定しているのに、40年近い月日が経っても繰り返し取り沙汰にされるのは、何故なのか?
実はそこを繰り返し着目させることにこそトリックがあるのではないか?
そんなサインや暗号を見るまでもなく、66年までのポール・マッカートニーと67年以降はその風貌やキャラクターが違いすぎる。ネットを探してもらうと海外のものを中心にいろいろと出てくるが、どう見てもその風貌やキャラクターは別人である。
・顔の作りは丸顔から細顔で目鼻口耳といったパーツがすべて違っている
・歌う時の頭を左右に揺らす癖だったのに、前後もしくは縦に振るようになっている
・ギターの持ち方、特に高さの位置が違う
・2色ベーシックのファッションが、大阪おばちゃん系カラーたくさん派手好き系に変わる
・ギターの持ち方は除いて、左利きではなく右利きになったのかというぐらい、カップやグラスを持つ手が左手だったのが、必ず右手になっている(ズボンのベルトの巻き方も左利きから右利き用になっている)。
1966年から67年にかけて、ポール・マッカートニーの風貌は明らかに変わっている。
メンバーの中でも少年っぽいあどけなさがある風貌で、その仕草や喋り方がとてもチャーミングだったポール・マッカートニー。66年の時点では、『リボルバー』のアルバムジャケットに描かれているイラストでももちろん、その後の世界ツアーで見る姿では、変わりはない。
それが67年の『サージェント・ペッパーズ』からすっかり変貌している。メンバー全員も口髭をはやし、髪型を変えたことで変貌しているのだが、特にポール・マッカートニーの変貌ぶりがすざまじい。ポールの変貌ぶりを目だ足さないようにするために、メンバー全員が風貌を変えたとも思える。
ちなみに朝日新聞のビートルズ記事で、1967年の流行りで全員が口髭を生やしたとあるのだが、本当なのだろうか?
ポール・マッカートニー(2代目)のもっとも近くにいた(同居していた)ロード・マネージャーのマル・エヴァンスがこの写真にも登場するが、彼は口髭をいつも生やしていた。
この時点では整形がまだ不十分だったのだろうが、真逆の風貌と言ってもいいぐらい、ポールの特徴である少年っぽいあどけなさがすっかり消え去って、なんというかおっさん臭い。
また、67年以降にビートルズはライブ活動を休止しただけでなく、4人そろっての記者会見もほとんどなくなり、インタビューもメンバーそれぞれ個別になっていく。68年にポールとジョンが二人で受けた最後のインタビューがあるのだが、ここでのふたりの役割分担と関係はそれまでとはぜんぜん違っている。
1966年まではステージでも記者会見でもポールをフロントマンとして立てながら、ジョンは好き勝手なことを言うという。そんな絶妙なコンビネーションでビートルズはパブリック・リレーション(PR)も得意としていた。この絶妙ともいえる応答の切り替えの阿吽の呼吸はまったく見られず、役割分担は完全になくなっている。
ポール・マッカートニーの変貌と変節【その2】に続く
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