キリスト発言と騒動の真相【その1】からの続き
1966年3月にジョン・レノンの自宅でこのインタビューは行われた。女性ジャーナリストのモーリーン・クリーブは、すでに3年前の1963年にビートルズに関する記事を書いている。
ジョン・レノンと彼女の友人関係も長く、この時には信頼関係が出来ていた。
親しいジャーナリストによるインタビューで、場所も自宅ということもあり、リラックスした雰囲気の中で話題も多方面に及んだ。
宗教に関する話に及んだ際の「ぼくたちはキリストよりポピュラーだ(正しい訳は人気があるだが、日本では「有名だ」とされる)」という発言の一部だけが、切り取られ、しばらく経ってからアメリカで炎上する。
これは「宝石ジャラジャラ発言」とは違って、その後も不遜なジョン・レノンを象徴するものとして、繰り返し取り上げられてきた。
そして、死後には不遜さよりも、若気の至りの発言で、愚かで情けない若者のエピソードとして、発言の核心である本家本元(ローマ法王庁)から貶められる。
発言から40年以上たった2008年に、当時のイタリアの日刊紙に「ローマ法王庁がこの発言を容赦する」という驚きの記事が掲載される。
「こんなに後になってローマ法王庁が!?」というのを陰謀論的に解釈とすると、やはり後段のところが、特に問題だったのだと思える。
このバチカンを創設したのが、まさにイエスの弟子の一人、パウロであるからだ。そして、このバチカンは、イエスの教えを忠実に実践しようとした宗派・集団を徹底的に弾圧し、異教扱いしてきた。
そして、ローマ法王庁が28年前に亡くなったジョン・レノンを許す理由が「急に有名になって興奮した若者が『豪語した」だけ」という貶め方に、仰天する。
「死者に鞭打つ」ということばがあるが、これは「死者へのキャラクター破壊行為」である。なぜオノ・ヨーコは抗議しないのか?
記事を掲載したオッセルバトーレ・ロマーノ紙は「ジョン・レノンの発言は主に米国で深い憤りを招いたが、多くの年月がたった今では、エルビスやロックンロールの伝説の中で育った労働者階級出身の英国人の若者が予想外の成功を手にして『自慢話をした』ようにしか聞こえない」としている。
提灯記事なのはわかるが、それにしても労働者階級出身の若者に対する見下し方がよっぽど酷い。こっちの方が差別発言としておおいに問題だが、さすがにローマ法王がここまでは言えないので、記者が代弁したということだろう。
歴史的に繰り返される人物を貶めるエピソードは、このようにして歪められ、時には嘘の事実を創作され、刷り込まれていくのだろう。
ジョン・レノンが残した作品や発言、その足跡はあまりに凄すぎて、なかなか簡単にはいかないのだろうが、叛逆し続けたジョン・レノンに対して彼らが時間をかけても定着させたい印象はこういうものなのだろう。
©︎ 2023, Raizo