「エレナー・リグビー」の真実【その5】からの続き
ロサンジェルスはジョン・レノンがオノ・ヨーコと別居していた「失われた週末」を過ごした場所にもあたる。そして、マル・エヴァンスとも頻繁に会っていたことが、当時のジョンの恋人だったメイ・パンの写真集などからも伺える。
「失われた週末」は一般的には、「ヨーコに突き放されたジョン・レノンがやけっぱちになりアルコールびたりのひどい生活をロサンジェルスで送っていた時期」と説明される。
ジョン・レノン自身も亡くなる前のインタビューではほぼそう答えている。
しかし、この時期を恋日として共に過ごしたメイ・パンの説明は、かなり違っている。ジョン・レノンはヨーコとの結婚で疎遠になっていた、前妻シンシアとの息子であるジュリアン・レノンと関係を深めたり、ポール・マッカートニー(2代目?)との交流も再開する。
なぜか日本版に翻訳されていない「John Lennon Revealed(ジョン・レノンの正体)」には、この「失われた週末」時代のことが詳しく書かれている。著者のラリー・ケーンはジョン・レノン自身はこの時期のことについてこう語ったと言っている。
「私は今までで一番幸せだったかも知れない...私はこの女性(パン)を愛し、何曲か美しい音楽を作り、大酒やたわ言やその他もろもろで色々とやらかした」
(「John Lennon Revealed」by Larry Kane より)
後半部分の「大酒やたわ言やその他もろもろで色々とやらかした」ことについては、亡くなる前のいろいろなインタビューでジョンも素直に語っている。しかし、前半の「私はこの女性(パン)を愛し、何曲か美しい音楽を作り」については(ヨーコが同席しているせいもあるのだろうが)、インタビューアーに聞かれてもそっけない受け答えをするだけ、ジョンにしては言葉が少ない。話題を逸らすところすらある。
特に暗殺される直前の「ジョン・レノン ラストインタビュー」(中公文庫)の「『シエイブド・フィッシュ(ジョン・レノンの軌跡)』の頃」の章の冒頭が如実だ。この時期の音楽についてインタビュアーが聞いているのに、その説明を避けて、5年後の『ダブル・ファンタジー』に話題を無理矢理持っていく様子がわかる。
この「失われた週末」の時にジョンは「心の壁、愛の橋 (Walls and Brideges)」をリリースしている。シングルカットされた「ナンバー・ナイン・ドリーム (#9 Dream)」でジョンの名前を呼ぶ女性の声はメイ・パンのものだ。オノ・ヨーコは自分のものだと主張しているそうだが、時期的にも状況的にもあり得ない。
そして、アルバムの最後の「YA YA」では、この時期にしょっちゅうジョンに会いにロンドンから来ていた息子のジュリアンがドラムを叩いている。
メイ・パンの映画「THE LOST WEEKEND」が今月公開される。この映画を誰がどのような意図で作られているのか今の時点ではわからないが、トレーラを見る限りは、ジョン・レノンの死後の一連の映画と同様にかなり真実を歪めた偏った内容になっているのではないかと予測する。
日本での公開情報は今のところないが、見れたらレビューを書きたい。
(筆者追記 2024年5月公開)
「エレナー・リグビー」の真実【その7】に続く
©︎ 2023, Raizo