宝石ジャラジャラ発言【その2】 からの続き
この出演以降、ビートルズは単なるポップアイドル以上の存在として取り上げられていく。
年末には大手のタイムズ紙でジョン・レノンとポール・マッカートニーは「1963年に最も活躍した『作曲家』」と評される。別の記事では「ビートルズはベートーベン以来の最大の音楽家」とまで持ち上げられている。
デビューしてわずか1年余りの時期。アルバムもカバー曲が多い最初の1枚目しか出ていない。
作曲家やベートーベンと比較される音楽家として高い評価を受けるのは、現代の感覚で陰謀論的に考えても、やりすぎの展開だ。
この後の米国進出と世界的な成功に向けて、このロックミュージシャン初の王室御前コンサートへの出演も一つの既定路線であったのかもしれない。
そして、この時期のジョン・レノンは、やんちゃで茶目っ気のある才能ある若者という程度にしか見られていなかったのだろう。
ビートルズが最初に厳しいバッシングを受けるのは、次に紹介する1966年の「キリスト発言」なのだが、これもその発言が最初に紹介された本国であるイギリスではなく、アメリカで起こった。
そして、ジョン・レノンのイギリス王室や貴族といった権威に対する叛逆はこの発言を皮切りにずっと続いていく。
この発言があった2年後の1965年10月、おしも押されぬ世界のスターとなったビートルズは女王陛下から勲章を授与される。
ジョンはそのMBE勲章を1969年に返還するのだが、その返還についての記者会見ではこうはっきりと述べている。
「もちろん、あの行動は平和の宣伝のためにやったことだ。名前に付いたMBEの文字を見ると、いつも落ち着かない気分になった。本来、ああいう世界の人間じゃないからね。」
「あの勲章で体制側はビートルズを買ったんだと思う。ようやく返還することになったってわけだ。あれを授与するのは時間のムダだ。ほとんど、偽善的な俗物根性と階級制度の一環でしかない。」
「僕はビートルズがビッグになるのを助けるために受け取っただけだ。確かに受け取ったことで魂を売り渡したが、平和運動をやることで少しは償っている。」
(ジョン / MBEを返還した理由を語る記者会見より。 1969年)
ジョン・レノンははっきりと自分と「ああいう世界」を切り離している。
成功のためには、魂を売り渡すこともやるが、あくまで、自分が生きる世界は「ああいう世界」であってはならない。
はっきりと彼はそこに一線を引いて、死ぬまで、戦い続けた。
死んでから徐々に作り上げられていく「ジョン・レノン=(どちらかというと)情けない男 」イメージ(40年以上経った今も続いている)。そのイメージ作りを演出している人たちこそがここでいう「魂を売り渡した」、「偽善的な俗物根性と階級制度」に象徴される、「ああいう世界」に買われた人たちなのだ。
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