Raizo's Blog

陰謀論からみた叛逆者たちの物語 〜その末路と隠された真実〜

「エリナー・リグビー」の真実【その4】(John Lennon 10)

「エリナー・リグビー」の真実【その3】からの続き

 

 ジョン レノンが暗殺される4ヶ月前の1980年8月にプレイボーイ誌が3週間の長期にわたってジョン レノンとオノ ヨーコをインタビュー取材している。(記事は翌年掲載)

 

 この時までの5年間、ふたりは新たな作品を発表せずメディアとの接触を一切断っていた。ジョンは主夫(House Husband)になり子育てに専念していたからだと言われるが、そればかりが理由ではない。レコード制作に関してジョンレノンが結んだ契約が影響している。

 

 レコード会社と取り交わしたソロアルバム制作義務が、1975年発売のアルバム「ロックンロール」で終わったこと。また、レノン&マッカートニーの作るすべて曲の著作権がレコード会社のものになるとしたビートルズ時代から続く異様な契約が終了するのがこの1980年の途中だったこと。

 

 この異様な契約は、印税収入は入ってくるが作品の著作権は新たなものも含めてレコード会社の帰属となるというもので、紆余曲折を経て1963年から1980年まで、レノン&マッカートニーを縛っていた。

 

 11月に発売される5年ぶりのアルバム「ダブル・ファンタジー」のプロモーションを意識して、その発売前からジョンレノンが殺されるまで実に多くのインタビューを受け、メディアに対する露出を再開する。

 

 ビートルズ解散前後の時のようにふたりは、積極的にメディアに露出する。記者の質問に率直に答え、以前よりもビートルズについても、秘話的なエピソードも発信している。

 

 ある時はあからさまに、ある時には遠回しに、時にははっきり言わないことで裏にある何かを仄めかすように。

 

 これを読み解いていくことがジョン レノンという「叛逆者の末路とその真実」につながるのだが、まずここではキリスト発言とそれに関係する「エリナー・リグビー」の制作に関する点についてのみ触れることにする。

 

 インタビューでビートルズの創作におけるジョン レノンとポールマッカートニーが果たした役割について質問されて、ジョンはこう答えている。

 

 「そうね、明るさつまり楽観的なものはポールの受持ちで、ぼくはいつも、悲しみ、不調和――ある種のブルース的な感じをねらってたね。ぼくはメロディーを書いていないなって考えていた時期もあったね。 メロディーを書いているのはポールで、ぼくは騒々しいストレートなロックを書いてると思った時期がね。(中略)ぼくには、いつも、歌詞の方が楽だったね。もっとも、ボールも有能な作詞家なんだけど、本人がそうは思ってないんだよ。だから、作詞には手を出したがらないんだ。問題に正面から取り組まないで、避けて通ろうとするんだよね。(中略)ぼくは歌詞を放りっぱなしにはできないんだ。歌を離れても筋の通る歌詞をつくらなくちゃいけないんだ。」

(『ジョン・レノン Playboy インタビュー』(集英社)から、以下同様)

 

 曲の創作に関する役割、スタンスについてのこのジョンの答えは、ビートルズのそれぞれの楽曲とソロになってからのふたりの作品を比べてみても、とても納得がいく説明だ。そして『エリナー・リグビー』の歌詞はそのほとんどを書いたというジョンレノンの説明とも一致する。

 

 続いて『エレナ・リグビー』についての解説だが、この曲についてのジョン レノンの説明は他の曲と比べても特に饒舌で、歌詞と同様に描写的だ。

 そして71年のインタビューに続いて、ここでほとんどの詩を書いたとはっきり言っている。

 

 「最初の一行はボールので、残りは、基本的にぼくのだ。ボールは、結婚式の最中の教会にいるエリナー・リグビーというメイン・テーマだけを持っていた。彼はこのテーマが手元にあって、手助けが必要なことを知っていながら、ぼくに詞をつけてくれと頼まなかった。」

 

 この曲はサビから始まっているが、歌詞の最初の1行とは「結婚式の最中の教会にいるエリナー・リグビー」という説明から、サビに続くAメロの「エリナー・リグビーは結婚式があった。教会でお米を拾い集めている」のことを指しているのは間違えない。

 

 続いて、非常に興味深いのは歌詞を主に担当するからジョンにその作成を頼んだのではなくて、そうとは言えないやりとりがあったことジョン レノンはわざわざ説明している。

 

「エリナー・リグビー」の真実【その5】に続く

 

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