「村上春樹とジョン・レノン(John Lennon 15)」の続き
村上春樹はポール・マッカートニーが途中で入れ替わったことも、ジョン・レノンが殺された本当の理由も知っていただろう。村上はビートルズが特別好きではなかったと語る一方で、作品中でビートルズの曲やメンバー、特にポール・マッカートニーに関連する描写がたびたび登場する。『ドライブ・マイ・カー』や『ノルウェイの森』はビートルズの曲名をそのままタイトルに使っている。村上は作品の多くで音楽のタイトルをそのまま流用しているが、この2作品が商業的に最も成功していることも興味深い。
村上はポール・マッカートニーに対して、彼の曲作りの才能やメロディの美しさを認めつつも、ジョン・レノンと比較して「商業的」な側面を強調する場面も見られる。「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」では、主人公がビートルズの曲名を片っ端から思い浮かべながら「ポール・マッカートニーはいったい何曲思い出せるのだろう?」というシーンがある。入れ替わったことを知っていて茶化しているのだろう。他の小説でもポール・マッカートニーはどう思ったのだろうか、みたいなことが出てくるシーンが複数あった。
「ノーホェアマン」(邦題 ひとりぼっちのあいつ)が誰についての歌なのかも、村上春樹は気づいていたのだと思う。掲載許可が出なかった「ノーホェアマン」の訳詩は、それとははっきりとわからない間接的な表現ではあるだろうが、「ノーホェアマン」が「奴ら=支配者」の歌であることを匂わせるものだったに違いない。
Raizoが直接的な解説も入れて訳したのが以下だ。
He's a real nowhere man
奴は実在するどこの場所にも存在しない男(国家を超えた男)
Sitting in his nowhere land
誰の土地でもないところに居座って(シティ・オブ・ロンドンのこと)
Making all his nowhere plans for nobody
誰のためにもならない計画を立ててきた(NWOやアジェンダ21などのこと)
Doesn't have a point of view Knows not where he's going to
ちゃんとした考えもなく、自分がどこにも向かってないことがわかっていない
Isn't he a bit like you and me?
少しきみやぼくに似ていないか?(ぼくらとたいして変わらない愚か者なのに)
Nowhere man, please listen
ノーホェアマン、聞いてくれ
You don't know what you're missing
あんたは見逃していることがあるのをわかっていない(自分が全知全能だと勘違いしているだろう)
Nowhere man, the world is at your command
ノーホエアマン、世界はあんたの思うがままなんだろう(世界が思うままだと思い込んでいるんだろう)
He's as blind as he can be Just sees what he wants to see
奴はできるだけ何も見ようとしない 自分が見たいものしか見ない
(自分の思い込みで生きているだけなんだな)
Nowhere man, can you see me at all?
ノーホエアマン、俺のすべてが見えているのか?
(俺のこともぜんぜんわかっちゃいないね)
Nowhere man, don't worry Take your time, don't hurry
ノーホェアマン、心配はいらない。焦らず、ゆっくりやればいい
(どうせあんたの企みなんてうまくいかないから)
Leave it all till somebody else lends you a hand
誰かが手を貸してくれるまで、すべてを放っておけよ
(誰もあんたについていかないことがわかるだろう)
最後は1番と同じ歌詞を繰り返して、最後は"Making all his nowhere plans for nobody"
「誰のためにもならない計画を立ててきた(NWOやアジェンダ21などのこと)」を3回繰り返し、高音の広がりあるハーモニーに乗って曲は終わる。
ジョン・レノンは、この頃(66年)にはすっかり「奴ら=支配者層」にうんざりしていた。そのことをビートルズ解散後に出したアルバム「ジョンの魂」のインタビューで話している。
陰謀論の世界で有名な例のテレビでのインタビューに触れる前に、次回はその記事を取り上げよう。
「狂気 (Insane) からの解放」を歌うジョン・レノン に続く
©︎ 2024, Raizo